ブレゲ、時計好きであればそそられる名前であるに違いない天才時計師、アブラアン・ルイ・ブレゲ。スイス生まれの彼は
パリで天才時計師として有名人、貴族階級の人々を顧客とし、そのわがままな要求に応えて傑作を生みだし、また市民
階級を対象とした普及版にも力を入れた。
アレキサンダー・デュマは「モンテクリスト伯」でジュール・ベルヌは「80日間世界一周」でブレゲの時計を登場させた。か
の、マリー・アントワネットは複雑な機構、美しい意匠、所有することの優越感すべてのものを自分のものにしようと、この
世に存在しうるもっとも複雑な時計を注文したことなど、数多い逸話の一部分である。
現在でも時計好きの心を離さないのは古典的な顔をしながらも現代の匠が一心に情熱を傾けた作だからなのである。
創始者アブラアン・ルイ・ブレゲが1775年パリで工房を設けてスタートした事業はその後、幾多もの困難に遭いながらも
1826年に76歳でこの世を去るまで実に4000個以上の時計を作り、現代時計産業の土台を
築いた。
アブラアン・ルイ・ブレゲは自動巻機構のことをペルペチュアルと名付けた。当時の
時計師たちが様々な試みをしながら失敗に終わっていた時計の永久運動への扉を
開いたのは1780年、これは1765年にアブラアン・ルイ・ペルレが発明した機構を
改良し、完成させたものであった。
特許を取得したトゥールビヨンなど数々の機構は現在でも受け継がれている。
ブレゲ・クラシックの時計を見ると一番最初に目につく針、華麗なブレゲ針は初期には
ゴールドの針を使っていたが、1783年に新たな針を開発した。中心が偏った小さな
穴を先端に持つブルーの針は過度の装飾ではない機能美を表現した結果であるとい
える。
ブレゲ針の製法は昔から今でも変わらない。素材であるスチールを針の形にくりぬき
磨いたあとに針を熱して酸化させ、スチールが黒くなってしまう一歩手前のブルーにな
った瞬間をとらえ冷却させる、28行程を経て完成される針であるが製品として使用で
きるクオリティを持つ針は10本中3本であるという。
また、ブレゲ時計の特徴の一つに機械でパターンを彫り込んだギロッシェ文字盤が
ある、手動旋盤を使った装飾加工である。
18Kゴールドを用いて50年前に作られた手動旋盤を用いて模様を彫り込んでい
く。その後に銀メッキを施して、文字盤をゆっくりと回転させながら砥石を押しつけ
ヘアラインを刻む。更に贋作防止のために1795年から採用されたシークレットサ
インを手動の彫刻機で彫り込んでインデックスを印刷する。
シークレットサインは現在でも一部のモデルに受け継がれている。
トノーケースの時計が登場するのは1930年代、ブラウン家がブレゲの経営を行って
いた時代である。1870年、3代目のルイ・クレマン・ブレゲが時計事業をブラウンに売
却しその後1960年代までブラウン家にブレゲ・ブランドの経営を委ねられていた。
この時代ブレゲの製品はスイスの一流の時計師に依頼し製造した。永久カレンダーや
ミニッツ・リピーター、トゥールビヨンなどアブラアン・ルイ・ブレゲの残したものを忠実に
再現する努力をする一方で伝統から逸脱した新しい創作が行われたのもこの時代で
ある。デジタル表示のジャンピングアワーやアールデコ風のクロックなど時代の流れに
沿った試みが行われた。
トノーケースの時計もその中の一つである。現在、トノーカンプレはブレゲのヘリテージ
コレクションとして主要を占める。ブレゲ針を配したギロッシェ文字盤、緩やかなカーブ
を描くケース、伝統を踏まえた現代のブレゲのエレガントなスタイルを守っている。
1815年、アブラアン・ルイ・ブレゲはフランス海軍省御用達時計師に任命された。
時計師に与えられる最高の栄誉を手にしたのである。1970年にブラウン家がパリ
の宝石商ショーメに譲り、1987年にはインベストコープがブレゲを買収した。この変
還の中でつねに古典の復興に力を入れられてきたその努力が実を結んだとき、異
端児のように登場したのがタイプXXアエロナバルであった。1955年正式採用され
たフランス海軍航空隊パイロットのためのクロノグラフがその原型である。
2時位置のプッシュボタンでスタートさせ4時位置のプッシュボタンでゼロに戻り瞬時に再
びスタートするリ・スターティング・フライバック機構を備えている。
現在、第4世代のトランスアトランティックとして最後の完成をみている。
4代目ルイ・ブレゲは1909年にルイ・ブレゲ航空機製造会社を設立した。フランス航空史
では「ブレゲ」という機体が欠くことのできない存在となっている。
戦前の一時期、国営会社になったほど大きくなったブレゲ社は1971年にダッソー社と合
併しダッソー・ブレゲ社となったが1990年にブレゲの字は社名から消えた。
今日、製造はスイスで行われているブレゲであるがパリのバンドーム広場には再びブレゲの文字が見られる。